小説の書き方

小説 文学 書籍

Month: June, 2012

#44 私小説

日本の近代文学は明治以降に始まります。小説自体が元々舶来のものであり、「小説」という訳語を考えたのは坪内逍遙です。
 日本においてのみ特異に発展した文学の分野が「私小説」であり、それが今も純文学として王道の地位を保っています。
 「私小説」とは文字通り、作者の個人的な体験を、露悪的・告白的・破滅的に描き、そこに文学性や芸術性を見いだそうとする作風です。
 これは自然主義文学の巨頭であった島崎藤村が、自らの性的な放蕩非道や破滅ぶりを、小説にすることで浄化するという身勝手な理屈を考えたことがその始まりです。
 日本の文学は多かれ少なかれ、この私小説的な文学観の影響を受けています。
 私小説は、当たり前ですがそんなに面白くありませんが、いまだに日本の文壇は私小説的な価値観に重きを置いています。

Advertisements

#43 シーン

 小説は脚本とは違いますが、似ているところもあります。基本的に複数のシーンがつながって構築されるところは同じです。
 小説を書くときに、ストーリーで考えると、単なるあらすじやプロットになってしまうことがあります。
 ストーリーを考えずに複数のシーンを最初に考え、それをつなぎ合わせた方が、小説の完成は早いかもしれません。(面白いかどうかは不明ですが)
 シーンの数が、短編、中編、長編小説の区別とも言えます。
 

#42 平均読書量

 日本人はどれくらい本を読むのでしょうか? 文化庁による「一ヶ月に何冊の本を読んでいるか」の調査によりますと、45%が0冊、36%が1~2冊、10%が3~4冊となっています。
 これは小説以外のビジネス書やハウツー本も含みますから、小説となると、その半分か30%くらいと考えていいでしょう。
 おおざっぱな計算ですが、平均すると月に1冊、年間で12冊、年間に小説は3~5冊くらいを読まれる人が多いのではないでしょうか。
 小説は読まれなくなったのでしょうか?それとも小説の供給が過剰なのでしょうか?
 それを把握するためには、小説の刷り部数を調べればいいのですが、残念ながら出版社は書籍の正確な刷り部数を、様々な理由により公表していません。
 ベストセラー小説以外は悲惨な売り上げであることは、絶版になった小説の多さがそれを物語っています。

#41 固有種の名前

 身の回りにあるモノの中で、意外に知らないのが樹木や花の名前です。知らないというよりも覚える機会がない、覚えきれないというのが正解で、我々の生活環境には数多くの植物が存在しています。
 例えば「クスノキ」や「ケヤキ」という樹木の名前を覚えるだけで、それまでは単なる「街路樹」であったモノが、生き生きと固有種としての輝きを持ち始めます。
 小説の表現の中でも「普通名詞」より「固有種の名前」を使用することで、より描写がリアルになります。「花」と「赤いコスモスの花」では印象が全く違いますね。特に樹木や花の名前は、表現の中で程よいスパイスになりえます。

#40 足すことと削ること

 創作行為は大きく分けると二つのプロセスに分かれます。「足すこと」と「削ること」です。
 音楽や映像、文芸などどのようなジャンルであっても、商業主義的な作品は、ひたすら足すことだけで完成した作品が多く(テレビのバラエティ番組やアイドルの歌う歌謡曲をイメージしてください)、そういう作品は非常にまとまりがなくうるさくなってしまいます。逆にアート性が強い作品は削ることやそぎ落とすことに重きを置いたものが多く(現代建築やコムデギャルソンなんかをイメージしてください)、今度は逆にわかりにくくなってしまいます。
 小説の場合はまず大量に文章を足さないことには小説として成立しませんが、長ければ長いほどいいというものでもありません。推敲時に、不要な文章は削らないといけません。足すことと削ることのバランスをとることは、なかなか難しい作業です。

#039 登場人物の名前

 小説では、読者は登場人物の顔を見ることができませんので、名前や描写からその人物を想像することになります。ですので、名前のイメージは非常に重要なのです。また、よく似た名前の登場人物は避ける、という小説のセオリーもあります。川村と川崎とか、理恵と英里子、などです。よく似た名前だと、読者サイドでイメージが重複してしまうのです。

#038 読者のニーズ

 商業出版の大原則に「書きたいモノを書いてはいけない」「読者が読みたいモノを書かないといけない」というルールがあります。
 小説の場合は文芸作品という側面もあるので、一概にマーケティング主導で創作を行うことが正しいとは言い切れない部分がありますが、それでも読者、出版社、文学賞へのマーケティング的な要素は必要です。ひとりよがりな作品は敬遠されます。ただしこの方法ばかりを追求すると、売れてる本の劣化コピーになって、陳腐で新鮮味のない作品になってしまいます。小説は読むのに時間と労力がかかりますので、読者の立場で考えることもときには必要です。